衛星通信時代の幕開け


SF作家の発想を追い越して


まずはじめに衛星通信の歴史について簡単に触れておきます。衛星通信の実用化は、1960年代に始まりました。全世界にわたる通信や放送が利用できるようになり、衛星通信の必要性が認識されるようになりました。


「将来、ナチス・ドイツ軍が作ったV2のような強力なロケットで赤道上空3万6000kmの円軌道に物体を打ち上げることができる時代がくれば、地上からは静止して見えるので、これを使えば大陸間の電話中継やラジオ放送ができるのではないだろうか…」。
これは、アーサー・C・クラークという英国のSF作家が、第2次世界大戦直後の1945年10月に「ワイヤレス・ワールド」という無線専門雑誌に書いたものです。衛星通信を最初に提案したものとして有名です。さらにクラークは、このような物体(人工衛星)を120度間隔で3個打ち上げれば、全世界をカバーできることも示しています(図1)。
最初の人工衛星「スプートニク」が打ち上げられる12年前に、このような先見的な予測があったのです。


1960年代に始まった衛星通信の実用化


衛星通信の最初の実験は、1960年に米国が打ち上げた「エコー1号」です。エコー1号は風船の表面をアルミ箔で覆い、地上からの電波をこのアルミ箔で反射させるだけという”受動型通信衛星”です。しかし、これだけでは、反射されて地上に戻った電波は非常に弱く、とても実用になりません。
そこで衛星に中継器を載せ、地上からの電波を増幅してから再び地上に送り返す”能動型通信衛星”が実用化されました。1962年に米国のベル研究所と航空宇宙局(NASA)が相次いで打ち上げた「テルスター1号」と「リレー1号」がそれです。テルスター1号では、米国と欧州の間でテレビ伝送と多重電話信号の伝送に成功しました。一方、リレー1号により米国と日本の間で最初のテレビ伝送実験が成功しました。この実験で日本へ送られてきた映像が、当時の米国大統領J.F.ケネディの暗殺を伝えるニュースであったことはあまりにも有名です。
この二つの衛星は両方とも、地球の周りを約3時間で回る「周回衛星」で、いわゆる「静止衛星」ではありません。最初の静止衛星は1963年にNASAが打ち上げた「シンコム2号」です。続いて1964年に打ち上げられたシンコム3号によって、東京オリンピックが全世界に中継されました。
このようにして、静止衛星を利用した国際通信の効果が広く世界に認められ、1965年に打ち上げられた「インテルサットI号(アーリーバード)」を使って、初の商業衛星通信が始まりました。


衛星の大型化が回線コストを低減


最初のうちは衛星のコストが高かったため、主に大陸間の国際通信に使われました。しかし、衛星打ち上げ技術が急速に進歩し、衛星本体の寿命も最初は1年半ぐらいだったのが最近は10年以上に延びました。その結果、衛星のコストは大幅に下がってきました。
また衛星の重量も、インテルサットI号はわずか40kg足らずでしたが、最新のインテルサットVI号では1.8トン近くもあります。衛星が大きいほど、中継器をたくさん積むことができ、回線数も多くとれるので、1回線当りのコストが安くなります。
このような技術進歩のおかげで、衛星通信は近隣諸国との通信や国内通信にも広く使われるようになりました。用途も、電話やテレビ中継、データ伝送、ファクシミリ伝送、テレビ会議、専用線などいろいろな使い方がされるようになってきています。また、静止衛星はテレビ放送にも使われています。
クラークの提案からわずか半世紀足らずの間に、衛星通信はすっかり私達に身近なものになりました。世界中のできごとを瞬時に映像で見ることができるのも、衛星通信のおかげです。さきの東欧改革や湾岸戦争で、衛星通信が果たした役割が大きかったかは、記憶に新しいところです。衛星通信の実験に初めて成功した時でさえ、これほど短期間のうちに、これほどまでに普及するとはだれも思わなかったでしょう。あのクラークでさえも、「私はあの論文で特許をとっておくべきだった。自分が生きている間に人工衛星が本当に商業ベースに使えるとは予測できなかった…」と告白しているそうです。
図1 赤道上空3万6000kmに120度の間隔で3個の衛星を打ち上げて、地球と同じ方向に回るようにすれば全世界をカバーできる。
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