若い時には、若いとき時に遣っておくべきことがある

明治大学理工学部 向殿政男

フェローからのメッセージ(電子情報通信学会・情報システムソサイエティ誌) 2002年の原稿

 「研究は一生の仕事だから、年を取ろうが取るまいが、好きな研究テーマに向かって常に情熱を傾けて一生懸命継続して遣るべきである」と言うご意見には、誰も反論はないでしょう。正にその通りです。私は若い頃、いや今でもそうですが、大学や学会に纏わる雑用に追われて研究に割く時間をほとんど見出せませんでした。その悔しさに、「研究は老後の楽しみに取っておく」などと言い訳ともつかない負け惜しみを言っていました。研究テーマと資料を溜め込み、積んで置いたのです。60歳になろうとしている今、どういう心境かをお知らせしましょう。
“雑用”などと言ってはいけません。大学での“マネージメント”と学会等への一種の“社会貢献”は、重要な仕事で、誰かがやらなければ大学や学会は回って行きません。そして、この雑用と称する仕事は、年と共に狭義の単調増加で減る傾向はちっとも見えません。一方、“教育”の重要性と面白さを自覚して教育に熱心になればなるほど、研究に割ける時間がますます減って行きます。そろそろ60才になるのだから、かねてお約束の“研究”をということで無理に研究の時間を探そうと思っても、細切れの時間しか取れません。研究課題の本質そのものを思い起こすだけで時間切れ、先へちっとも進まないのです。もっと深刻な問題に気が付きました。若いときに比べて、記憶力の極度の低下です。特に、短・中期記憶が駄目。先日読んだ論文の内容は、今日は頭の中に鮮明には残っていません。従って当然長期記憶も駄目で、よっぽどのことがない限り、新しいことはなかなか頭に沁み込んで行きません。若い時に叩き込んだ知識ならばすぐに思い起こすのですが。しかも想起能力までも落ちていると来ています。問題は、更に有ります。頭の回転が遅くなってきていることです。研究には、集中的なスピードとパワーが必要なのに、スピードが出ないのです。いや、もちろんパワーの方も落ちています。そう言えば、気力も若いときに比べて落ちています。集中力が継続しません。体力と来たらこれは問題になりません。パソコンに打ち込むスピードが遅くなり、ちょっとパソコンに向かうと目がしょぼしょぼして来て、肩がこり始めます。それでも気力を振り絞って、ない時間を割いて、溜め込んだ資料を探り始めても、今度はどこを探していいのか手の付けようがありません。見付かったとしても、その研究テーマは既に遣られていたり、古くなって今更何の価値も無かったり、細かすぎて面白くなかったり、中には何のことだか思い起こせないものまで含まれています。困ったことです。その上に、経験が長いだけにやりたいことは山ほど増えている反面、残る時間が秒読みに入って来ています。残り少ない時間をどれかに集中しなければ発散するだけなのに、まだまだ色々なことを遣りたい、遣れば出来るという色気だけは残っている、などなどと悪いこと尽くめなのです。憂鬱になるので話を転換しましょう。  お役目柄、若い人に一言、メッセージをお伝えしなければなりません。「若い時には、若いとき時に遣っておくべきことがある」、「若い時には、若いときにしか出来ないことがある」という、万古不変の真理でしょう。若い人が年寄りの真似をして見ても、年寄りが若い人の真似をして見ても、効率が悪くて効果も挙らないだけでなく、時には滑稽でさえあります。遣るべきことには遣るべき旬な時期があるというものです。研究テーマも時代の申し子であると共に、自分の年齢の申し子でもあります。興味を持ったら、若いときは時間と情熱と、パワーと、気力と、体力と、記憶力と、--- 今、私に欠けつつあるもがあるのですから,全力を尽くして研究に熱中して下さい。いい顔をしようと思って、雑用を喜んで引き受けるのは止めましょう(これもある程度は必要ですが)。研究に専念できる時はしましょう。今しかないと思ってやるべきでしょう。あとで、いつか、ひまが出来たら、--- は、遣らないこと、遂には、出来ないことを意味します。なるべく志を高く持って、本質的なテーマ、基礎的なテーマを選びましょう。自分の興味とアイデアでじっくりと追いかけましょう。すぐ成果の出るテーマに取り組むことや、人の論文の後追いは止めましょう(小さい成功体験の積み重ねは重要であるといいますが、これも程度問題で、これだけ遣っていたのでは、研究は老後の楽しみにさえ繋がりません)。面白がって、自分の頭で考えることを楽しみましょう。‐‐‐‐。これも切りがないからこの辺で止めます。 強い意志を以って続けることが大事で、雑用に追われて研究を離れ、一度ポテンシャルが下がると、元へ戻すのは並大抵の努力ではありません。ハンデキャップが増えるばかりですからなおさらで、事実上、ほとんどの人には不可能でしょう。そんな気力があるのならば、初めから若いときに発揮すれば、年取って発揮するよりは10倍以上の効果が有ります。間違い有りません。
さて、それでは、年をとった研究者は何をすべきなのでしょうか?研究費を取ってきて、雑用を引き受けて、方向性とアイデアを示して若者を指導し、若い人の独創の芽を育て(いや独創の芽を摘むことをやめて)、‐‐‐。それも大事かもしれません。しかし、まって頂きたい。年を取ったら取ったなりのよさが有ります。なんと言ったって、経験が豊富です。ものごとを広く多面的に見られます。長い間に培われたものが心と頭の中で実を結び始めています。歴史観に基づいた、大局的な,総合的な研究は任せなさい。これは若い研究者には出来ないでしょう。いくら年を取っても(大抵の研究者は、いつまでたっても自分は年を取っていないと思っていますが)、研究にかける思いと、独創の泉を枯らさない人がいます。そして、時々、超ベテランから斬新で、面白い研究テーマや成果が出ることが有ります。捨てたものでは有りません。私も60歳。これからが楽しみです(少なくとも私には文字とおり研究の楽しみが残っています。ここまで来たらレベルが高いか低いかはもう、別問題でしょう)。
お互いに頑張りましょう。


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