郵政省郵政研究所編「インターネットの進化と日本の情報通信政策」,日鉄技術情報センター発行,2000年3月,第10章より転載

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1999-12-9

--インターネットのゆくへ--

明治大学理工学部情報科学科

向殿政男

11.1 インターネットで時代は代わる

 最近、「ネットワーク以前」、「ネットワーク以後」という言葉を時々聞く様になった。ここでのネットワークとは、もちろんコンピュータネットワーク、特にインターネットのことである。インターンネットが存在していなかった時代とインターネットが出現した後の時代という物理的な年代の区分を表わしている訳ではない。生活や仕事の一部として情報通信や情報収集を試みるとき、「ネットワーク以前」とは、手紙や電話、新聞や出版等を既に用いていた人が途中からインターネットを利用し出した世代を言う。「ネットワーク以後」とは、初めからインターネットと言う情報通信手段が情報環境としてそこに存在していた若い世代のことである。すなわち、これは最近現われた世代間の区別のことである。「ネットワーク以前」の人間には、懸命に努力をしてインターネットの利活用に慣れることを試みることにより、ある程度使えるようになった人から、まったく自由に使いこなせる人まで幅広く存在するであろう。しかし、「ネットワーク以前」の人間はいくらインターネットに熟達したところで、「ネットワーク以後」の人間には本質的にかなわないということを暗に表わしている。「ネットワーク以後」は、コンピュータやインターネットにのめり込む不健全な人種という負のイメージではなく、新しい時代を担っていく新しい世代の出現という肯定的な意味合いを持っている。時代を担う世代の交代を暗に意味していて、この区別は本質的であることが近い将来明らかになるであろう。

 一方、インターネットはそんなに大きなインパクトを社会に与えるのだろうかと疑問を抱く人もいる。事実、インターネットはただ単の新しい情報通信手段の一つに過ぎず、さほど驚くにも、騒ぐにも当たらないと主張する識者が居なかった訳ではない。これまでにもよくあった一時的なブームであって、そのうちに沈静化して時代はさほど代わらないことが分かるという主張である。また、インターネットの開発者の一人である或る技術者は、インターネットは、1996年中に消滅すると予言したことがある。インターネットの利用者の爆発的増加、通信路の狭隘さ等による混雑や、無規制等によるプライバシー、安全性(セキュリティ)の問題などから使用に耐えなくなるからと説いた。確かに、現在でもインターネットは応答が遅いために苛々することはしばしばあるし、中傷誹謀、卑猥画像やクラッカーやウィルスによる悪意のシステム破壊等々で時々新聞を賑わせている事も事実である。しかし、2000年現在、インターネットは健在どころか、益々発展、浸透しつつある。インターネットがただ単の一時的なブームであるとか、インターネットが消滅するという認識は明らかに誤りである。

 インターネットが情報通信の立場から今後の社会担っていく社会のインフラストラクチャになり、その上で新しい情報社会が展開されて行くようになることを疑う人は現在ではほとんどいないであろう。このことについてもう少し詳しく見て行くことにする。

 

11.2 情報社会からネットワーク社会へ

 情報化社会とか、情報社会とか言われて久しい。実態はともかくとして、少し言い古された感がある。最近は、ネットワーク社会と言う言葉のほうが新鮮味があり、その方が実感がある。それほどインターネットや携帯電話をきっかけとして、情報通信のネットワークが爆発的に発展し、広まって来ている。

 現代が、情報社会の入り口にあるのか、それとも真っただ中にあるのかは意見の分かれるところかもしれない。しかし、現在のネットワーク化のいろいろな面での現状を見るとき、以下のように、情報社会はまだ始まったばかりであると言わざるを得ない。

 設備(ハードウエア)として見たとき、情報通信ネットワークは情報化社会のインフラ(社会基盤)の一つであり、それが今、世界的に整備されようとしている。そこでは情報通信事業者の大型の吸収・合併が地球的な規模で起きつつあることを考えると、情報インフラの真の大変革はこれからではないだろうかと予想される。

 また、現在の経済の牽引車の一つであるパソコンは、情報の処理を受け持つコンピュータというよりは、より小型化をして情報のためのネットワーク端末、すなわちネットワークを介して世界への情報の受信・発信の窓口に変貌しつつある。ハードウエアとしてのパソコン業界は、ネットワーク化を大前提とした情報家電に生きる道を模索しつつある。と言ってもまだ一般の家庭までは入り込んできているとは言い難い現状を考えると、家庭でのネットワーク化は未成熟である。今のままでは、一般の家庭の主婦や老人がネットワークを使うとは到底思えないからである。

 同様に、コンピュータを含む情報関連産業は今、世界の産業界の新しいリーダーとして登場し、華々しく活躍しているが、その主役の交代の早さには驚かされる。今、我が世の春を謳歌しているかのウインテル(マイクロソフトのウインドウズ OSとインテルのCPU の連合体)も早晩、主役交代の時期が来るのではないかとささやかれる程である。確かに情報産業を取り巻く環境は変化が早すぎて先が良く見えない世界である。常に新しい産業が創造され、新しいリーダーが出現している激動の最中にある。その原因の一つは、世の中がコンピュータ(情報処理)からネットワーク(情報通信)へシフトしつつあることに起因している。最近のネットワーク関連の株価の異常な値上がりは、この間の事情の一般の社会の期待と予感を反映している。ただし、実態がともなうのはこれからであろう。

 一般の産業界のネットワーク化は、その産業界の活性化と新しい産業の創造に寄与しているのは明かである。ネットワーク化を中心とした情報化投資に遅れた企業は取り残されて行く。ネットワーク化に遅れた業界は、効率的で変化への対応の早いネットワーク武装された世界企業に浸食されて衰退せざるを得ない運命にある。最近のアメリカの好景気と我が国の不景気とは、変化に対する組織の対応スピードに起因し、それにはネットワーク化・情報化の設備投資額の差によると言う指摘は傾聴に値する。ネットワーク化に基く世界規模の企業や業界の再編成は避け難いが、まだ始まったばかりである。また、電子商取引(E-コマース)の実証実験は至るところで行われており、将来は莫大な市場規模になると喧伝されるが、我が国では今だ一般社会には入り込んでいない。

 これ以外にも、放送やメディアの世界、ネットワークに載せる情報の中味そのものを担うコンテンツの世界等々、ネットワークの存在とその機能により変革と創造を余儀なくされる世界は計り知れない。これらがやがては社会や文化を変えて行くことになる。このような現状を考えると、ネットワーク社会は、始まったばかりであり、本番はこれからであろう。従って、ネットワーク社会を概念的にはその一部として含む情報社会は、言い古された感があると書いたが、まだ入り口であると言うのが正しい認識であろう。

 

11.3 インターネットのインパクト

 印刷による出版、新聞による報道、電話による双方向通信、ラジオ・テレビによる放送等々のこれまでの情報通信手段に加えて、インターネットというコンピュータ通信に基礎を置く新しい通信手段を得た人類は、この新しい手段が如何に危険でリスクをはらむ負の側面を持っていようとも、その利便性を考えたとき、今後とも決して手放すことはないであろう。更に、マルチメディアと言う言葉に象徴されるように、デジタル情報による統一表現とコンピュータによる情報処理能力との結合は、これまでの各種の情報通信手段をすべて統一的に融合することが技術的に可能となり、まったく新しい社会を出現させる可能性を持っている。しかし、インターネットがなくならないのは明らかであるが、現在のままの形で生き残り、発展していくということはまずないであろう。これまでがそうであったように、「技術的」に、「制度的」に変容しながら、欠点や課題を克服し、改良され、形を変えて発展し、生き残って行くことは間違いない。この時、これからの情報通信基盤を構成するであろうインターネットの発展の指導原理は何処にあるのであろうか。研究者、技術者の間で便利に利用され、改良されてきた従来のインターネットが、爆発的に広がり、その重要性が社会的に広く認識され出したのは、技術的な発展もあったし、ビジネスの世界に利用を解放したという制度的な変更も有ったのは確かだが、なんと言っても、ここまではWWW(World Wide Web) という分散的ファイル、または分散的データベースを取り扱うためのアイデアとそのためのソフトウエアが開発されて、その上で展開されている膨大なアプリケーションに負うところが大きかったのは事実である。これからもWWWのようなインターネットを大前提とした新しい技術やアプリケーションソフトが提案され続け、インターネットが変貌し続けるに違いない。

 一般的には、技術的に利用可能なことと、現実に利用されることの間には、大きなギャップがある。可能性の有る技術が現実に利用されるに至るには、「使い勝手の良さ」と「コスト」は絶対に無視できない。更に、ある程度の信頼性と安全性も絶対に必要である。これらをクリアするためには、そこに需要が存在することが一方で必須である。需要を掘り起こし、技術との橋渡しをして、「使い勝手の良さ」と「コスト」と「信頼性/安全性」を実現に至るらしめるのは、実際のアプリケーションの存在と利用経験を経たそのための制度の整備以外にはない。

 インターネットの場合には、従来の情報通信にはない、技術的にも、応用の面でもユニークな特徴を有しており、将来に無限の可能性を秘めている。これからの情報社会では、従来の業務のコンピュータネットワークへの置き換えから、全く新しい応用の開拓までの広い分野のアプリケーションが、容易に、信頼して、高速に利用出来るインターネットの実現を待っている。現在のインターネットの発展は、まだ初歩にすぎないのである。インターネットの本番はこれからである。これまで培われ、開発されてきたインターネットの技術を生かす道は、また、新しいインターネットの技術を開発する芽は、その上で花を開く実際のアプリケーションにある。そこに実際の有用なアプリケーションが存在すれば、たとえ技術的な隘路が有っても、必ず解決される方向に技術は発展し、制度は改革されるものである。すなわち、実社会における有用なアプリケーションの存在と新しいアプリケーションの開発こそが、今後のインターネットの在り方が鍵を握ることになる。現在、各種の技術の提案と実用可能性が示され、それに基づく実証実験が行われているが、その中でどれが生き残るかは、上述の観点から眺めることが不可欠である。そしてもう一つ、実用化の鍵を握るのは、後述する標準化の視点である。

 ここで、改めてネットワーク化の現状を眺めて見よう。現在、インターネットに接続されているホストコンピュータの数は、世界的には4300万台であり、その伸びは依然として衰えていない(図11.1)。そのほとんどがアメリカであり、我が国の台数は170万台に過ぎない(1999年7月Network Wizards 調べ)。1台のホストに電話による回線接続も含めて何台の端末が接続されているかは不明であるが、少なくとも1ホストに対して数台から10台位と見積もっても、現在、世界では約1億から4億人位の人がインターネットを利用していることになる。図11.1 から分かるように、その伸びは指数関数的でまだ立ち上がりの途中にある。これまでの一般の主要家電製品の普及率を眺めて見よう(図11.2)。良く言われることであるが、成長カーブは、最初は指数関数的に伸び、次ぎに一定の成長率を示し、最後に飽和するという曲線を描く。図11.2 に示す白黒テレビのように、カラーテレビに置き換わられて行くものは衰退するが、本質的な製品は普及して一定値に落ち着く。図11.1 及び図11.2 のカーブから判断しても、インターネットの普及が始まったばかりであり、当分はこのまますごい勢いで成長し続けるだろうことが予想できる。

 なお、インターネットがこれからの社会を支える本質的なインフラであることは間違いないにしても、将来の社会に対してどのくらいのインパクト、どのような革命を起こすのであろうか。冒頭に紹介したように、「ネットワーク以前」、「ネットワーク以後」の世代間隔は予想外に大きいことが確実になるであろうと言う根拠は、インターネットを軸としたデジタル革命は、電話、ラジオ、テレビの発明を凌いで、印刷技術の開発に匹敵するだろうという予感に基づくものである。

11.1 インターネットに接続されているホストコンピュータの数

Network Wizards 調べ)

 

11.2 主要家電製品の普及率

(経済企画庁調べ)

 

11.4 インターネット技術の動向

 これまでの通信の歴史の中で、通信技術としてのインターネットの特徴は色々と有り得るが、何といっても従来のテレコムネットワークが階層型構造をしていたのに対して、基本的には水平型の結合であることと言えよう。技術的な点のみならず、効率、高信頼性、機密性等から必然的に従来のテレコムが階層構造をとって行ったのに対して、自由性、拡張性、自立性を重んじるインターネットが水平型構造により世界を席巻して行ったことは、情報通信の立場からは革命的と言えよう。インターネットが世界を覆い尽くしながらまだ拡張をし続けて、これまでに見たことも無いような巨大なシステムに成長しているのは、インターネットでとられたインターネット方式とでも呼ぶべき緩い標準化に負うところが大である。先ず、TCP/IP という標準プロトコルの採用がある。インターネットの前身であるARPANET はプロトコルとしてTCP/IPを長い間検討してきて、1983年にTCP/IPの採用を正式決定した。そして、そのソースコードを公表したのである。また、同じ頃、1980年頃からUNIX のUC BerkeleyのBSDがTCP/IPを取り入れたのも幸運なことであった。ISOが総力を傾けて決めつつあった ネットワークの7層モデルであるデジュールスタンダードに対して、TCP/IPというデファクトスタンダードが勝利を収めたのである。その原因は、TCP/IPというプロトコルさえ採用すれば、どのようなネットワークからでも自由に接続できて、お互いに情報交換が可能になり、その為の技術が公開されていることによる。各自のネットワーク内ではどんなプロトコルでもどんな通信技術でも使ってよく、お互いに通信するときのみ標準であるTCP/IP に従えば、誰でも勝手にネットワークに繋げて行って良いという極めて緩い標準が効を奏した。階層型のように厳密に管理・運営をする必要がないので、緩い調整機関だけがあり、お互いに迷惑を掛けないというネットワーク上の倫理さえ守ればある意味でまったく自由と言うことが出来る。TCP/IPに基づく通信で更に改良や細かい規約の提案については、自由に各人が工夫をこらして誰でもが提案が出来て、第3者機関が公平に、かつ民主的に相談することで標準を順次決めて行くという、すなわち参加者全員でシステムを改良して行くというインターネット方式は、巨大システムを構築するための新しい方式を見い出したと言えよう。ある意味では、標準化の威力をまざまざと見せつけられた感がある。TCP/IP の実用の検討が始まって既に20年以上が経つ。変化の激しい情報技術の社会でこんなに永く寿命を保っている技術は数少ないのではないだろうか。TCP/IP は今後も生き続けるであろう。従来のテレコム技術と肩を並べ、融合しつつある。遂には飲み込んでテレコム技術がTCP/IP の上に乗るとい時代はそう遠くはないだろう。情報通信の世界でのTCP/IP標準化の傾向は当分続き、ネットワークにおいての伝送技術は独占から競争へと向かうことになろう。そして、技術的な改良と興味は下位層から上位層へ移って行くことになる。

 ネットワークに関する情報技術(IT)は良く知られるように階層構造になっている。下から大きく次のように4っつに分けてみよう(図11.3)。

11.3 ネットワークにおけるITの階層構造

 

(1)通信伝送技術--デジタル信号そのものを如何に高速に信頼度高く送るかという技術である。広域網で言えば、これまでNTTのようなコモンキャリィアと呼ばれる通信業者が担っていたところで、ネットワークの階層(レイヤー)から言うと、物理層とかビットウエイレイヤーと呼ばれるところである。ここの業界が現在、世界的規模で合併/連合/吸収が盛んに行われている。相手への送り方も従来の電話のようなアナログ信号の通信に適した回線交換とデジタル信号であるデータ信号の通信に適したパケット交換に大別される。アメリカでは、既にデータ通信が、電話通信の通信容量を上回ったが、我が国でも2001年までには逆転すると予想されている。物理的な線路としては、大容量の光ファイバーに移行つつあるが、一方で、通信衛星などを経由した無線や有線としてはCATV による通信も比重を高めて行くであろう。通信方式としては、広域網ではATM (非同期転送モード)方式やWDM(波長多重伝送技術)等が、そしてユーザが直接利用するアクセス網としては、高速イーサーネット、ISDN、それに赤外線等が主流になると思われる。

(2)ネットワーク制御技術--情報をどの経路で送り、誤りが有ったり経路に障害が有った場合でも、どのように信頼性高く通信が出来るようにするかという技術である。実際には通信手順(プロトコル)が重要となり、インターネットでは前述したTCP/IP と呼ばれるプロトコルを用いている。TCP/IP を用いれば、その下のレイヤである通信伝送技術にどのようなものを用いていても、ネットワークとして接続されているところならば世界中何処へでも情報が送れるというインターネットの威力、すなわち標準化の威力は絶大である。従って、今後のほとんどのネットワーク上の情報通信がIP (Internet Protocol:インターネットプロトコル)で行われるようになるであろうことは間違いない。

(3)アプリケーションソフトウエア技術--ユーザとネットワークが端末を通して会話をすることで、ユーザの希望を実現するための技術である。一般のネットワークの階層では一番上に位置し、ユーザが直接自分の意思を伝えるために使用するところである。ここには、いわゆるTELNET やFTP (File Transfer Protocol) などのプロトコルが対応する。また、ユーザのやりたいことをこの層で表現・処理するソフトや下のレイヤのネットワーク制御層に変換するソフトが、いわゆるミドルウエアソフトである。これまでのインターネットの爆発的な発展は、このアプリケーションソフトウエアの発展が原因であるといっても過言ではない。これらを利用して実際の具体的なユーザのプログラムの処理が行われる。これらの技術には、WWWの為の技術からセキュリティの為の各種の暗号技術や個人を認証する技術まで実に幅が広いものがある。

(4)インターフェース技術--ネットワークから得られた情報を、人間にとって分かりやすく、便利に、直観を刺激するように、かつ疲れないように表示したり、逆に人間の意向を忠実に理解し、支援し、補助するように情報を探し出したり通信したりしててくれるような技術である。ネットワークを通してのアプリケーションやユーザのプログラムと実際の人間との間の情報伝達は、形式と意味との変換に相当する。これは従来の決定論的で機械的なアルゴリズムを用いては簡単には出来ない仕事である。人工知能的な情報処理が不可欠な分野である。この間を取り持つインターフェース技術は、ネットワーク技術の階層には入れないのが普通であるが、筆者は、今後はこの技術が最も大事なものになると感じている。エージェント技術、感性情報処理技術、声認識技術、自然言語処理技術等がここに含まれる。

 これらの各層における最新の技術動向については、本書でこれまで詳しく紹介をしてきた。 ここでは以下、最後のまとめとして、これらの技術に基づくネットワーク上で営まれる社会活動における問題点や、将来の展望について述べることにする。

 

11.5 ネットワーク社会の光と陰

 将来のネットワーク社会は、どのような通信伝送技術の上に、どのようなネットワーク制御技術やアプリケーションソフトを用いて応用が開けるか予想し難い。しかし、当面は前述したように現在のインターネットを発展させものになるだろうと思われる。すなわち、光ファイバーを用いたATM 技術やWDM(波長多重伝送)技術の上に通信手順としてはIP が乗り、その上に各種のの応用の花が咲くと予想される。確かにインターネットはこれまでになかった新しい情報通信手段である。この新しいネットワークの特徴は未来社会に多くの夢と希望を与えてくれる。しかし、光あるところには、必ず陰が生ずる。その特徴は裏から見ると短所や欠点にもなる。インターネットの陰の部分は、大きく分けて二つに分けられる。倫理的課題と、技術的課題である。ここでは、技術的問題に限ってその問題点と解決の方向について考えて見よう。

 つい最近まで言われていた技術的な課題には、例えば次のようなものがあった1)。

(1)情報渋滞・洪水問題:画像の利用が盛んになるために通信容量の不足からレスポンスが遅くなり、ついにほとんど動かなくなって結局は使い物にならなくなるであろうという問題。

この問題はそんなに深刻にはならないであろう。バックボーン回線は、光ファイバー、CATV, 無線、衛星通信等々どのような回線を使うかは自由性と多様性が増すが、必ず高速化し、ATM やWDM等の使用や従来のテレコム通信技術等との融合によって、需要とのいたちごっこは生じるかも知れないが、渋滞問題は次第に技術的に解決されていくと思われる。。

(2)アドレス不足問題:IP アドレスが足らなくなりこれ以上のインターネットの拡大にストップが掛かるであろうという問題。

この問題は既に解決の方向に向かいつつある。事実、アドレス不足問題は次期インターネットの標準であるIPv6(Internet Protocol version 6) で検討され、解決のめどがつきつつある。特に、アドレスについては、現在のインターネット(IPv4) では32ビットだったものが128ビットに拡張され、各家庭の家電製品にまでアドレスを割り当てることが出来るほど余裕が出ることになる。

(3)経路輹輳問題:接続されるノード数が多くなりすぎ、たどり着くまでに多くのノードを通過せざるを得なくなるので、経路選択の複雑さが臨界点を越えて経路情報ばかりが流れ、本来の情報も流せなくなるであろうという問題。

確かに当初のインターネットはフラットなネットワーク結合であったが、現在でも階層化しつつあるが、将来は必ず水平型の中で階層化した構造を持つはずである。アドレッシングの効率化、コストや、渋滞の解消を考えると、自然発生的に階層化されざるを得ない。そして、各階層ごとに階層内をフラットに結合することで、経路輹輳問題も解消に向かうと思われる。

(4)情報不連続問題:動画像などは連続性が保証されず、コマ落ちなども生じて、テレビや映画の品質には到底及ばず、観る人はいなくなるであろう等々の問題。

この問題もIPv6では検討を開始しており、解決の目処が付いている。更に、必要に応じて通信品質の保証を得るようなプロトコルであるRSVP(Resource ReServation Protocol) も、IPv6では実装も検討されている。現在では、CTI(Computer Telephony Integration) 技術等により、インターネット電話がかなりの品質を保持するようになり、インターネットテレビの実用化もそう遠くはないだろう。

(5)機密問題:セキュリティが十分に確保されていないので、信用を重視する商用の通信には到底使える品質にはならないであろうという問題。

これは、ネットワークの商用にとって最も大事な問題である。これには暗号の使用しか対処の方法はなさそうである。どんな複雑な暗号でも必ず原理的には解く事が出来る。ただ、複雑になればなるほど解くのに時間と金がかかることになるだけである。機密問題への対応は、この考え方しかなさそうである。すなわち、機密にしたい大事なものには、その大事なものを得るためには、暗号を解くのに掛ける時間と金を考えると馬鹿らしくなるくらいの複雑さの程度で暗号化することである。破られ易い場合には、小額の金しか取り扱わないというプリペイカードの発想と同じである。考えて見ると、インターネット上の機密問題だけでなく、現在の機密の保護は、ほとんど原理的にこの考え方に立っている事が分かる。このように機密問題に対しては、暗号技術の果たす役割は大きい。これに関連したIT には、電子透かし、デジタル署名、電子認証等の技術がある。

 以上の様に、確かに現在のインターネットは多くの技術的課題を抱えている。ネットワーク社会が抱えている技術的課題は、現在のインターネットに典型的に現われている。しかし、その解決策は上述したように、見い出されつつある。これまでも常にインターネットは技術的課題を抱えてきた。そして、その都度それらを解決し、その度にインターネットは変容してきた。今後も、今のままの形のインターネットが存在し続けることは無いだろうが、上記の技術的諸問題はインターネットの形態を変えつつ、これまで同様、技術的に解決して行くだろうと言って間違いない。事実、現在のインターネットの改良版であるIPv6の先に、現在ではインターネット2やNGI(Next General Internet ) 等の次世代インターネットが動き出している。

 ネットワーク社会における解決困難な問題は、実は上述のような技術的課題ではなく、倫理的問題、各国の検査/認証制度や標準化争いの問題、文化摩擦問題等々、より複雑で文化的、国際的な課題でる。

 

11.6 あとがき

 情報通信のネットワークが縦横無尽に張り巡らされ、その上を各種の情報が行き来することを大前提として生活が営まれる新しい社会をネットワーク社会と呼ぶならば、情報社会はネットワーク社会から始まると言えよう。もちろん、中には前述のように一時的なブームになったり、消えてしまう動きや技術もあるかもしれないが、歴史的な時間感覚で眺めた場合、このネットワーク化、情報化の流れはそう簡単には止まらないはずである。なぜならば、物質、エネルギーに続く第3の革命といわれる情報に関する技術は、人間社会にとって本質的なものであるからである。革新的な技術や道具の変革が結局は社会や文化を変えて行く。このことは人類の長い歴史が証明している。現在の社会のネットワーク化、情報化の流れを押し進めている原動力はインターネット等を技術的に支えるIT (Information Technology:情報技術)の発展にあるのは明かである。ITの発展が情報を取り扱うための新しい道具を作り出す。新しい道具が新しい社会を作り、これがまた新たなITの開発を促す。この正のフィードバックは今後も長く継続し、最終的に今とは異なった真の新しい情報社会を作り出すだろうという予感は、誰でも持ち始めているのではないだろうか。しかし、情報社会の未来像は実は誰にも分からない。なぜならば、どのような社会にするのかは、今後の我々の選択に委ねられている部分が多いからである。確かに、情報技術の性質上、社会制度を構成する上で、ある種の制約を受けなければならないだろう。特に機密保護等の点からインターネットのようなオープンなネットワークを安心して使えない点も多々あるため、それを回避する手段を講じなければならないのも事実である。しかし、そこには多くの自由性と選択の幅がある。どのような社会になるかは、技術の問題というよりも我々の選択の問題の方が大きい。今の社会制度が数百年の試行錯誤を繰り返して、人類の英知の累積として定着して来たように、これからの情報社会での法律等を含めて新しい制度、特にネットワークの世界の中で安心できる社会制度を見つけ出すためには、経験と失敗と知恵の蓄積が必要で、まだ長い時間が掛るのではないだろうか。しかし、やがては人間の活動の場として、我々が移動している今までの物理的な空間と同じように、もう一方で電脳空間とでも呼ぶべき情報が移動する空間が広がり、この両者が同じ様なウエイとを持つネットワーク社会の時代が来るに違いない(図11.4)。このネットワーク空間、すなわちサイバー社会の出現は、上述の様に新しい社会秩序を要請することになるが、残念ながら我々はまだその中で守るべき秩序の在り方を見い出していない。ただし、ここで注意すべきことは、ネットワーク空間はあくまでも仮想社会であって、一方で人間として物理空間での現実感覚をもつというバランス感覚の育成は、人間として必須であるはずである。我々はネットワーク社会の入り口に立ったということは、未来社会に対して責任を持てるネットワーク空間における社会体制を築き上げなければならないという責務を負ったことになる。

 最後に、我が国の状況について少し触れて見たい。我が国は世界的に見ればホストの台数としては世界第2位であるが、人口数から見たら決して多くない。アメリカとの距離は一時近づいたかに見えたが、最近差が再び広がり始めている。確かにIT(情報技術)に関してはアメリカに水を開けられている。しかし、上記の差は技術的問題もさることながら、もっと本質的な大きな問題が横たわってい

 

11.4 人間にとっての新しい空間-- ネットワーク空間

 

る。それは我が国の変革のスピードの遅さであり、その根本原因は社会体制、特に規制の多さとすべてを政府や規制に任せるという我が国の体質にある。規制緩和と世界標準化に基づく競争原理の導入、すなわち金融ビッグバンに相当する情報ビッグバンの積極的な展開は今後の我が国には不可欠である。この遅れが我が国の社会の情報化への遅れとして現われる。卑近な例で言えば、例えば通信料金の高さや一般人の情報機器への不慣れと言ったところに出て来る。従って、通信料金を定額制で低く抑えることが我が国のネットワーク化を飛躍的に促進するための緊急の課題であろうし、また、小学校、中学校から一人1台のコンピュータ環境を与えることとは、極めて効果のある方法と考えられる。しかし、通信料金は外圧でしか下がらない状態であるし、教育でも実は教える教師の手当が出来ないという教育システムの柔軟性の無さと変革の遅さが露呈して、なかなか前へ進めないのが現実である。これからの我が国を担うべき「ネットワーク以後」の人間も、実は先進欧米諸外国に比して、いや先進的なアジアの諸国に対してさえも、遅れ気味なのである。一刻も早く若い人がネットワーク社会を経験し、そこでの情報倫理観の育成とネットワーク空間での社会制度を確立することが、今後の我が国の経済の活性化と安定した社会の発展のためには欠かせないことである。

 

参考文献

1) 浦山編、向殿他著:情報・通信ビッグン--国際競争に向けた情報スーパーハイウエイ戦略、東洋経済新報社、1998-6