機械安全におけるわが国の現状と国際安全規格ISO12100

明治大学理工学部情報科学科

向殿政男

 

1.日本の機械は本当に安全なのか?

機械を使ってお仕事をされている皆様にとって、「安全」の確保は,機械をご自分で使われる場合はもちろんのこと人に使わせる場合でも、常に最も重要な関心事でしょう。怪我をしてしまっては元も子もありませんし、まして回復不可能な傷害を負ったり、ひどい時は命にかかわるようなことになってしまっては、たまったものではありません。作業者に対してもこのような目にあわせることは許されません。確かに、「安全」を優先しすぎると、機械の使い勝手が悪くなったり、作業効率が下がったり、また安全装置のコストがかさむ事になったりして、結局はコスト競争に負ける可能性の出て来るという厳しい現実があることも事実です。と言っても「安全」をないがしろにする訳には行きません。現場の懸命な努力により労働災害の数は確かに昔に比べて大幅に削減されているものの、最近は下げ止まっています。現在でも、休業4日以上の労働災害は年間5万件にも達しています。一方、先進諸外国では、例えば、英国のプレス機械による災害の件数は、わが国の発生件数より1桁以上も少ないのです。更に、各種の機械を欧州に輸出する場合、現在は欧州の安全規格を満たすようにするために、安全装置を付け加えない限り受け入れてもらえないのです。しかも、その安全装置のほとんどは欧州製のものであり、安全の認定も外国に依頼しなければならい現状です。それに対して,我が国内においては、ほとんどの機械は安全装置なしで、認定もなしで,問題なく大手を振って自由に,販売、流通,利用できます。これは、何かおかしいのではないでしょうか。

 

2.我が国における安全確保の現状

一般に,機械の作業で事故に遭わないようにするためには,すなわち,機械安全を実現するためには、主に、

・機械そのものを安全に作る(メーカの役割)

・使用する作業者が注意をする(作業者の役割)

・管理・運営を徹底する(事業者の役割)

・規格、法規制で支援する(業界、国の役割) 

方法があります。これらはバランスのとれた、統一した思想の下で,システム的,組織的な取組と運用がなされていなければなりません。

ここで、これまでのわが国の機械に関する安全確保の仕方を振り返ってみましょう。まず,機械の設計では,機械そのものを安全に作るというよりは,機能とコストが重視されてきました。実際の現場の安全確保は,これまでの現場の作業者・技術者が優秀であったためか,主として作業者の注意で実現されて来たのです。安全は,技術で確保するよりは,どちらかというと教育・訓練で実現することに重点が置かれて来たのです。そして,たとえ事故が発生しても,責任は現場の作業者に帰され,真の原因を追求して,機械の設計にまでフィードバックすることが少なかったために,安全を確保する技術が十分に育たなかったと言えましょう。機械の設計にまで事故の責任が求められることが少なかったために,安全に関する技術を開発する必要に迫られなかったのです。安全よりは機能,及び低コストが重視されたことと共に,安全技術が重要視されて来なかったもう一つの理由は,強制的な法規がないこと,または製造業者やユーザの団体が自主的に安全基準を作成し,それを尊重すると言う習慣がないこともこれに拍車を掛けているようです。確かに,労働現場での安全は労働安全衛生法で守られ,特に危険な機械については,構造規格が設けられて,労働安全の立場から強制法規になっています。しかし,これらは限られた個別の機械に対する規格で,一般の機械の安全規格はJIS 規格により定められ、これは任意規格です。我が国における安全確保に対するこのような現状が,冒頭のような「安全」に関するある種の差別を生み出し,我が国の機械設備に起因する労働災害が減らないだけでなく,そのままでは世界に輸出できない機械を作りつづけている原因と考えられます。

 

3.安全とグローバルスタンダード

高機能の製品を,低コストで提供することで世界を席巻してきたわが国の機械工業も,安全に関しては技術の面で,規格の面で,そして安全の考え方の面でも国際的に立ち遅れ始めたのではないでしょうか。そう言えば,新幹線におけるトンネルのブロック崩落事故,H2ロケットの発射失敗事故,JCOの臨界事故等々,超大手や国までもが信頼性や安全性に関して問題を露呈し始めました。機械工業とか中小企業とかだけではない様です。今はやりの言葉を用いれば、わが国は、着実に進歩している安全の技術と管理に関して,グローバルスタンダードを無視しすぎたのではないでしょうか。

グローバルスタンダードといえば,品質管理に関するISO9000,環境管理に関するISO14000,最近聞かれる労働安全管理に関するISO16000等の管理(マネージメント)に関する国際標準が我が国を揺るがせ始めています。それでは,安全に関しての国際標準はどうなっているのでしょうか。実は,機械安全の国際標準のうち,最も基本的な規格であるISO12100が定まろうとしています。機械の安全に関しても,グローバルスタンダードが我が国に押し寄せてきているのです。安全に関する考え方,安全技術の実現の仕方,安全の管理の仕方等で日本だけが現在定まりつつある国際的な標準とは根本的に違っていたようです。これまでは,曲がりなりにも安全が現場の努力で実現されて来ましたが,老齢化,少子化等の問題を考えると,このままでは問題は更に深刻になりそうです。安全の確保については,「我が国は勉強不足であった」,その原因は「安全に関する技術とその考え方に問題があった」,と言うことが,最近の国際安全標準を見てみると良く分かります。機械安全に関しては,外国から外圧でオープン化して世界標準に合わせるように強制されているというよりは,このままでは安全に関しては我が国だけが異質となり,機械の輸出が困難になるだけでなく,人命が軽視されている国,安全に関する後進国と言うレッテルが貼られることになりそうなのです。このことは,中小企業にとっては,特に重大な問題です。そこで,このシリーズでは,5回にわたって現在定まりつつある新しい国際安全の基本規格であるである「ISO12100:機械類の安全性—基本概念,設計のための一般原則」1)—3)について,その安全確保の考え方,安全確保の技術について紹介し,今後の展望と我が国への影響等々について,考えて行きたいと思います。その前に,第1回の今回は,機械安全に関する世界標準の規格制定の経緯と,制定されつつある国際安全規格全体の特徴に付いて紹介することにします。

 

4.国際安全規格の制定の経緯

 現在までの機械安全の世界的な標準化の流れを見てみましょう。1985年、EU( European Union :当時のEC)は単一市場の構築のためにヨーロッパ各国の標準を整合化することにしました。いわゆるニューアプローチ指令です。これに従い、ヨーロッパ各国の安全規格整合化の検討が開始されました。そして、1989年, EC機械指令(強制規格)が出され、達成されるべき法的な要求事項を必須安全要求事項として規定することが指示され、CEマーキング制度が提案されたのです(実際の施行は1993年)。EU では、英国の規定を元に機械安全の基本規格としてEN292を1992 年に制定し,機械指令の技術的な面を補完する位置付けにしました。実は,EN292を得るまでに20年以上の検討と経験の歴史を経ているのです.ここに至るまでの安全規格の作成について欧州の果たした役割は大きく、かつその結果は本質的であるということから,ウイーン協定等によりISOと欧州の標準化委員会とは共同で機械安全に関しては規定を検討することになりました。実質的には,EN規格がISO及びIECの規格になるようになったのです。この流れの中、ISO とIEC とは安全に関する規格を作るためのガイドがまず必要という提案から、合同で1991年にガイド51(安全の規格作成のためのガイドライン)を発行しました。ここで始めてリスク、安全、傷害、危険源(ハザード)等の基本的な概念が明確に規定されました。そして、ISOに技術委員会ISO/TC199(機械類の安全性)が設置されたのです。そして上記のような経緯から、EN 292は1992年ISO /TR12100となりました(TRとは、Technical Report) 。この基本安全規格が,現在,DIS(Draft for International Standard)1)として審議中のISO12100なのです。なお,1995年、WTO(世界貿易機構)のTBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)の合意により、国家規約を国際規約に原則として合わせることになりました。もちろん、我が国もTBT協定を批准していますので,我が国のJISも、ISOやIECの規格に整合させなければならないことになったのです.遅れはしましたが,一刻も早くその内容を広く知ってもらう必要があることから,我が国ではISO12100のTRの段階からJIS原案をとして翻訳され,現在,その内容は,技術情報(TR)として公表さています2),3)

 

5.国際安全規格の特徴

ISO 及び IEC 等で検討、実施されている現在の安全に関する国際標準規格は、極めて高い理念に基づき、広い範囲を対象としたものとして体系化されつつあります。その特徴の第一は,規格を3段階に階層化していることです(図1参照)。すなわち,

 

〔〔図1入る〕〕

 

(1)基本概念や一般技術原則を述べる基本安全規格(A規格)、

(2)種々の類似した製品、工程、サービス等に適用可能なグループ安全規格(B規格)、

(3)特定製品の要件を記述した製品安全規格(C規格) 

という3段階に分け、下位規格は上位規格に準拠するという統一的な規格体系になっていることです。そして,現在,続々と規格が制定されつつあります。国際安全規格の第2の特徴は,基本的にはリスクに基づく安全評価であって、幾つかのランク付けされた安全の水準と、それに見合ったランク付けされた安全対策を採用することを要請していることです。また,ISO9000に基づいて,製品及びサービスについて設計から最後の廃棄までの全ライフサイクルの安全を対象にすることを要請していることです。また,最も重要な考え方に,安全を実現するには順番があり,設計で安全を確保するのが第一であって,作業者の訓練で安全を確保するのは最後であるという,安全の階層的実現方法を主張していることです。更に,製造者、管理者、使用者の責任の範囲を明確化して、PL(製造物責任)の概念も包含した壮大な安全規格の集合になりつつあることです。

 以上、国際規格における機械安全の特徴をリストアップすると、次のようにに纏められます。

(1)  安全規格の階層化

(2)  リスクアセスメントに基づく安全性評価

 (3)安全対策のランク付け

 (4)製品のライフサイクル全般にわたって安全を組み込む(ISO9000に基づく)

 (5)安全の階層的実現法

 (6)製造物責任の配慮

 (7)常に改訂の対象

最後の「常に改訂の対象」とは,規格と言うものは常に見直しの対象としなければならないと言うことです。新しい安全の技術が開発されるかもしれないし,今までは予想もしなかったような危険の原因を発見されるかもしれないからです。

本シリーズで紹介しようとしているISO12100は,リスクアセスメントの規格(ISO14121)と共に,一番上の基本安全規格(A規格)なのです。この基本安全規格ISO12100は、理念的にも、また技術も深い内容を有しており,機械類だけでなく,一般の安全性に関しても本質的な内容となっています。 それでは,次回から,ISO12100の内容について,もう少し詳しく紹介することにしましょう。

参考文献

[1] ISO/DIS12100(2000):”機械類の安全性ー基本概念、設計のための一般原則”

[2] TR B 0008(1999):”機械類の安全性‐基本概念,設計のための一般原則―第1部:基本用語,方法論”,日本工業標準調査会,日本規格協会

[3] TR B 0009(1999):”機械類の安全性‐基本概念,設計のための一般原則―第2部:技術原則,仕様”,日本工業標準調査会,日本規格協会

[4] 向殿政男(監修)日本機械工業連合会(編)(1999):”ISO 「機械安全」国際規格”、日刊工業新聞社

[5] 向殿政男(監修)(2000),安全技術応用研究会(編)(2000),”国際化時代の機械システム安全技術“,日刊工業新聞社